今日は3月11日。東日本大震災から10年が経ちました。
10年前、ちょうど就活中だった私は、東京の池袋にいました。大きな地震の後にすべての公共機関がストップし、よくわからないまま沢山の人だかりの中、数時間歩いて夜中帰宅したことを覚えています。その後、テレビでの嘘のような東北の津波の様子をみて、ただただ何もできなかった無力な自分でした。
あれから10年経ち、社会人になり、経験したものは少しだけ増えたけど、震災を経験された方にできること、と考えると、無力なままの自分を感じます。
そんなことを考えていた朝のはじまりに、円覚寺派管長の横田南嶺師のLIVE動画のおかげで、祈りの時間を過ごすことができました。
https://www.youtube.com/watch?v=gBNOb24UccI
(動画で家からでもお寺の管長さんのお話が聞かせていただけるって、本当にありがたい時代ですよね。)
ひととき、手を合わせて、呼吸を整えて祈る時間。
何もできなくても、遠くにいても、祈ることはできる。
究極、私たちは祈ることしかできないのかもしれません。
筑波大学名誉教授の【村上和雄先生】も、祈りについて著書を書かれています。

その中で、興味深い「祈り」に対する興味深い実験結果が紹介されています。
心臓病患者に対する実験で、「他人に祈られた患者」は、そうでない患者に比べて人工呼吸器、抗生物質、透析の使用率が少ない、ということがわかったそうです。しかも、近くにいる方からの祈りはもちろん、遠く離れた祈りでも、同様の効果がある。
まだ、理由の解明はできていないが、何より効果があるのだから、理由を解明できなくても、祈ることの大切さに変わりはないのではないか、
このように書かれています。
東日本大震災だけではなく、私たち人類があらゆる災害や森羅万象、また病や事故、苦しみ・悲しみを乗り越えて連綿といのちを繋いできた中で、数えきれない祈りが届けられてきたことは容易に想像できます。
祈ることって、これからもずっと必要なもの。
自然を思いやり、人を思いやり、自分を思いやる、まずはその気持ちから、祈りの時間を少しでも生活に取り入れたいですね。
